2022年記事
2022年正月、昨年の夏頃から家の 改造を思いがけずにすることになりましたが、私の後ろの絵は、清明上河図と、いう名前の巻物で、宋の時代、明、それと清にも、作者がいると聞いています。これを取り付けることが出来てとても気に入っています。故宮博物館の1Fに、レプリカを展示してありますが、三年に一度本物が、展示されるそうで、その時に見れるらしいです。40年前にこの応接間で、主人と二人の娘と仲良く楽しそうに写真を撮りました。あれから、色んな事が起こり過ぎ去っていきました。お釈迦さまは、人生は思い通りにならない、そして人生は苦だとも言われたそうですが、それでも人生は甘美だと、おっしゃったそうです。然しながら私は人生は虚しいと、ある時期から思うようになりました。
昨年のクリスマスに買ったクリスマスツリーのノーベル松が、まだ、青々としています。右は、珍珠柏という松です。
台湾では、旧暦にお正月をやりますので、毎年正月の日付けは変わります。今日は、主人の学生の中で一番若い学生が、正月前に挨拶に訪ねてきました。主人の指導を受けて博士号をもらい、私立大学の教授をしていましたが、現在は、主人の母校で、教授をしています。主人が、抱いているのは柴犬の柴ちゃんです。
正月料理は、台湾では、除夜にご馳走を作って食べます。日本は簡単に年越しそばですが、こちらでは、除夜が一番盛大に色々作ります。最近は、ホテルで、食べるか又は、テイクアウトする人が、多くなっています。私も、若いころは12品ほど作っていましたが、年と共に品数が減って、今は半分ほどにして簡単にしています。 春巻きは、主人の母や、姉たちが作っているのと同じように黄色の韮を入れて作ります。大きな紫色のサトイモを、蒸して潰してミキサーにかけて台湾風のおしるこの出来上がりです。主人が、必ず年末になるとスーパの籠に、この里芋を入れるので、作ることになるのです。この台湾料理の里芋のお汁粉と、春巻きは主人の大好物なのです。もう昔の若い頃のように長くキッチンに立つことが、出来なくなりました。かなり手抜きしています。
旧暦の正月リーゼントsilkpalaceに食事に出かけました。財の神様(財神爺)の、格好をしたレストランの人が、いたので一緒に写真を撮らせてもらいました。
リーゼント silkpalaceは、ほとんどの人は、食べ放題に来ていますが、基本は飲茶で、北京ダックもあります。主人と私は、多分食べれないのでいつも単品を頼んでいます。
このレストランの室内のデザインが、気に入っています。私は、中国に行った事がないのですが、中国風の作りが、何故なのか好きなのです。
仙草というゼリーです。白い容器にはミルクが入っています。この容器は、博物館に爵という名で、銅製で出来ているのが、展示されています。春秋時代の盃だったようです。
ここに来ると必ずこれを注文します。
食後に甘い色んな味のデザートを注文しました。
これは、中国の架空の動物で、一つの角が、ある独角獣と、いう名前で錫 で出来ています。 主人が、気に入って買ったものです。
たまに立ち寄るアンティークの、家具店でクリスタルのリンゴの木を見つけました。
5月21日、旧暦の端午の節句に主人は、ふかひれスープを食べたいと言うのでいつものレストランに食べに来ました。丁度、娘一家が、ここに粽を買いに来たので,孫たちに、学校のことなどを聞きました。コロナの予防接種をしてるのに同級生にコロナの子がいるので、リモート授業に、なったとか。帰る時娘が、会計を済ませてくれていたので、悪かったなと、思いました。昔は娘も一緒に粽を60個ほど作っていて、尖った糯米を使い豚肉の角煮や、シイタケ、栗、生のピーナッツやアヒルの卵などを入れて二枚の葉っぱを重ねて作ります手間暇がとてもかかるので、今は台湾料理のレストランか、ホテルで注文するようになりました。ホテルオークラタイペイ
端午の節句に食事に来ました。5月21日
一品功夫茶湯をという中華風の土瓶蒸しです。
私は、フカヒレよりこちらの方が好きです。そして、ここの北京ダックが、一番好きです。あっさりしていて臭みもないからです。 ホテルオークラ
いつも注文しているゼリーです。毎年何度かは日本に旅行に行っていましたが、いけなくなったので、近くのレストランやホテルで食事をして楽しんでいます。最近は、テイクアウトが増えました。 silkpalaceリーゼント
ここは、故宮博物館の4Fにある喫茶店です。昔、私達の結婚式の時に私の10人ほどの親戚たちと来ましたが、その頃ここには、蒋介石の書斎を再現してあって中国家具が置かれて絨毯も、敷かれていたのを覚えています。
そこの喫茶店に置いてあったゼリーです。清の時代に、皇帝に、謁見する時に官僚たちが、かぶった帽子の上に付いている物で、色で階級がわかるそうで、それを模して作られたお菓子です。
私が気に入って買ったリンゴのクリスタル。これを、私は、アダムとイブの善悪を知るリンゴの木と、名付けてます。主人と私は、実際は、とても仲のいい夫婦に入ると思っていましたが、人生は、思いもよらない出来事が、待ち受けているのです。
故宮博物館の喫茶店で買ったお菓子です。清の時代、官僚が被っていた帽子のてっぺんに付いている飾りですが、その色でその人の身分がわかるのだそうです。
飴玉と思って買いましたが、ゼリーでした。 官帽頂珠糖 と、いう名前のお菓子です。
6月は、結婚記念日なので、食事に出かけました。この日はかなり人が、多くなっていました。私は長い間主人に合わせて中華料理を食べてきましたが、もう、いい歳なのでいい加減、和食を食べたいと思うようになりました。やはり、子供の頃に食べた物は懐かしく感じます。
主人は、若い頃はとても元気な人でしたが、よる年波には勝てません。お互い様ですが爺と婆になっています。
このホテルは、どのフロアーにも日本刺繍の入った額や絵画や、中国の花瓶など、とても豪華で素敵な品を飾ってあります。
ホテルオークラタイペイ
お気に入りのsilkpalaceです。私は、もうすっかり台湾の生活に馴染んでいますが、来たばかりの頃は日本に帰りたくてたまりませんでした。もし、私の小指を、あの大きな中華包丁で、切り落として日本に帰れるのなら直ぐに切り落としたでしょう。そのくらい日本に帰りたかったのです。今は、そんなことは、考えもしません。争いは事は好まない性格ですが、若かったあの頃、もっと自分が、思った通りに我慢せずに生きたらよかったと思います。
silkpalaceは、ほとんどの人は食べ放題に来ています。
牛肉麺は、私は苦手でしたが、ここのはあっさりしているので食べれます。7月9日
7月9日 このブラウスは、38歳の時に買った物で、もう33年になります。その当時の服は、ほとんど全て捨てたのですが、これだけは残っていました。佐世保の玉屋で、私の母と一緒に選んだブラウスだからです。あの頃の、出来事を思い出すと胸が切なく苦しくなります。主人が、私への愛情表現だったと思いますが、30代40代に、毎年1月の誕生日と、6月の結婚記念日に買ってくれた色々な宝石は、丁度あの頃の私の歳になった長女が、つけるようになりました。主人は、自分の国に帰ってきて好きな研究をやれて、私は内助の功に、徹しましたから幸せな人生を送れた人だと思います。その頃の主人自身は、とても輝いていたのです。人生には、色んな落とし穴が、待ち受けていて、その穴に落ちたらなかなか這い上がれません。そして、その苦悩の中で生活を送ることは、とても困難なことです。もし、来世というものがあるのなら、生まれ変わる(投胎)時は、平和で穏やかな争いのないな家庭で、子育てを出来る事を願うばかりです。
7月8日、 主人の兄は外食が嫌いでしたが、主人は外食を好みます。私が30代、40代の頃、夕ご飯が9割出来上がっているのに、外に食べに行こうと、大学から帰ってくるなりキッチンに入っていつも言うのです。私は、すぐに出来上がるのにと思いながらも私と娘は着替えて家族四人で外にいつも食べに行っていました。当時、主人は、きっと思うところが、あったのでしょう。何時も、夕方帰ると家族で外食をすることになるのでした。兄嫁は、銀行の頭取の孫娘で、お嬢様でしたが、料理が苦手な人でした。兄が、嫌がるので、外食は滅多にさせてもらえなかったようです。でも、兄はいつも家で食事をしていたのに14年前64歳で亡くなりました。兄嫁は、自分の結婚は、失敗だったと私に話しました。結婚とは皆そんな感じなのです。
主人は、昔から朝だけ歯を磨く人でしたから自分の歯は一本しか残っていません。その歯の具合が悪いというので、いつもの歯医者さんに行った帰りに、久しぶりに立ち寄った我が家から少し離れた場所にあるホテルの台湾料理の店です。ここのマネージャーは日本語が、上手なのでついついお喋りをしてしまいます。いつもデザートの杏仁豆腐をサービスしてくれます。ちなみに私は、1日5回歯を磨く習慣があります。主人は、自分が、好きなことや、やりたい事、興味のあることは言わなくてもやりますが、他のことは注意してもやりません。7月8日
ぶらっと出かけたのですが、ブラザーホテルのパーキングが、満車だったので、変更して、こちらのホテルで、食事をすることにしました。ほとんど、南部からの泊り客で、泊まり客と私達の、メニューは違います。別々のランチメニューを頼んで半分こして食べました。8月2日ホテルオークラ
私は、やはり主人とは、生まれる前から何かの縁で結ばれていたのでしょう。長崎県佐世保で生まれた女と遠い台北市で生まれた男が出会い一緒になることは赤い糸が、繋がっていたのでしょう。どんな家庭にも必ず何らかの問題を抱えていますが、その中で、夫婦をやっていくのは、妥協と忍耐力だと思います。これは自惚れになりますが、主人の、気性や行動等を鑑みた時、私以外の女にはきっと妻は勤まらなかったでしょう。夫婦というのは、そして家庭というのも、生活ですから、それだけは自信があります。いつも私を大切に愛してくれる主人に感謝しています。
8月5日今日は、主人の旧暦の誕生日で、出かけましたが、もうすぐ父の日なので、かなり混んでいました。
silkpalace
ここは、パーキングの数が、少ないのですが、何故か必ずタイミング良く車をとめられます。
リーゼントsilkpalace8月5日
後ろの絵は、私が好きな清明上河図で、我が家のリビングと同じ絵です。
今年で、主人と知り合って過ごした年月は、50年になりました。いろんな事があって楽しい事も在りましたが、辛い事と、悔しい事が、多かったと思います。でも、家庭の為に子供の為とそして犬の為に私は、頑張って歯を食いしばって生きてきました。若いカップルが、ニコニコしながら結婚式をやっているのを見ると、この人たちの10年後、20年後は同じようにニコニコできないだろうと、思って眺めるようになりました。私からすると結婚とは意味が、ない事なのです。人の心は、移ろいやすくもろく儚いものなのです。人は、来年も同じ気持ちでいるのかと、言うとそれは本人にも解らない事で、不確かな事なのです。私が、70年生きて来て、経験した結論なのです。私達も、もういい年ですから、いつ朽ち果てるかわかりません。人生でやるべき事は、すべて終わりました。私は、とても頑張って生きてきたと思っています。
主人の父も、私の母も年をとってから痩せていましたので、そうゆうのはやはり遺伝するのでしょう。夫婦は離婚するよりも、死ぬ迄、添い遂げる方が、とても大変なことだと私は、思います。
8月5日、ここのレストランのデザインは、だいぶ昔に見たドラマの「年下の男」に出てくるレストランにそっくりです。東京の何処かのホテルのレストランだったようです。人妻役の風吹ジュンさんが、年下の男にふかひれをご馳走してもらい食べるシーンが、ありましたが、その場所にとても似ているのです。原作は内館牧子さんだったと、記憶しています。面白いドラマでしたが、実際にやってしまうと家庭が、崩壊してしまいます。天網恢恢疎にして漏らさず、そのような人間の、子孫には、徳は、いかないでしょう。silkpalaceリーゼント
8月6日、娘や孫達とイタリアンを食べに出かけました。孫たちはイタリアンやステーキが好きです。娘が、ご馳走してくれました。8月8日のパパの日の、前倒しです。ピザを食べる若者は台湾でも増えました。私が、初めてピザを食べたのは、今から51年前に博多天神ダイエービルの隣のセンタービルのイタリアンレストランで、その隣は、デパートのマツヤビルで三つのビルが並んでいて渡り廊下でつながっていました。姉が、ピザなるものを教えてくれて一緒に食べたのです。。変わった食べ物だなと、思いながら食べたのを記憶しています。その頃の主人は、えびのピラフやドリア私は、ラザニアを気に入って食べていました。当時は、日本が、とても豊かな時代で、その三つのビルで、ショッピングをして食事をするのが、オシャレで楽しい場所だったのです。主人は、私と出会ったときに直ぐに焼き肉をご馳走してくれました。下手な日本語で注文をしてくれたのを覚えています。それから毎日デートするようになって、主人が自分の首にかけていたアメリカ合衆国の1900年の金貨の、自由の女神のペンダントを私の首にかけてくれました。その頃の私たちは、みんな、始まりはそうでしょうが、ラブラブでした。これはいつか将来、孫が、結婚をしたいと思う女性にプレゼントして欲しいと思っています。
8月19日久しぶりに、主人の姉の家を尋ねました。みんなでお昼を食べることになったからです。
姉は、とてもセンスが、良くてオシャレで綺麗好きです。
ここは東西南北360度、見渡せる所で、円山飯店や、101等々遠いところまで景色を眺めることが出来ます。
主人の姉は年が離れているので、姉と言うより母の様な存在です。姉は、末っ子の主人をとても可愛いがってくれます。私は、日本語が、とても上手な姉に色んな悩みを相談してきました。とても聡明な方です。主人は、姉には頭が上がらないのです。ここは、玄関で、一対の、日本刺繍の絵が飾られています。